腹いっぱいの馬
藤野 繁
もう一度会いたい。
そう願っていた人がまた一人、向こうの岸へ行ってしまった。
令和四年十月中旬のどんより曇った土曜日の朝であった。朝刊のおくやみ欄をみて、浮辺初留(うきべはつる)の眼は止まった。
堂亀駿一(どうきしゆんいち)さん、十三日死去、八十三歳。
葬儀は終了しました。
T紙営業部で、鬼のドウキと呼ばれた、あの人が逝ってしまった。
最後に訪ねたのは三年前に溯(さかのぼ)る。コロナ禍に突入する前年の秋、岩瀬浜海岸に隣接した浜黒崎に近い、真言宗高野山につながる古刹、堂亀さんが住職の宝(ほう)満寺(まんじ)へ出向くと、歩行器にしがみつき、左足を引きずって奥の間から出てきた。
元々痩せていた体はさらに細くなったもののしっかり筋肉は付いていた。丸刈りの頭と精悍な顔つき、鋭い眼光は相変わらずであった。営業の最前線にいた頃、「若い頃は紅顔の美男子でもてた」と話していたが、紅顔は歳月で浅黒くなっていた。
私のスーツ姿をみて、物売りがやってきたと勘違いしたのか「どちらさん」と訝(いぶか)った。
「地鉄広告社の浮辺です、堂亀さん、私ですよ、忘れましたか」
五秒ほどの間があってから、堂亀さんの顔が一変して明るくなった。
「きみか、よう来てくれた。むさ苦しい住まいだがあがれ」奥にあがり、営業部長を務めている事を伝えると、我がことのように顔をほころばせて喜んでくれた。手土産の酒まんじゅうをうまそうにほおばりながら、「わしはなあ、二年前やっかいな頭の病気になってな。脳が少しずつ萎(しぼ)んでゆく病気や。あと二年経つと何も分らなくなる。もう三年ほどの命やな。車の免許更新は何度受けてもダメだったし、檀家の月命日参りも減ってゆくばかりで止めた。生活費ギリギリの年金と、近くの世話好きな婆さんが届けてくれる茶色くなった米と卵と納豆で命を繋いでいる」
家族は奥さんと一人娘がいたことを確かめると、「T紙を辞める直前、単身で大阪支社長だった五十歳のころ、女房が男をこしらえてこの寺を出ていった。気の強い女だから、男も所帯を共にするなり音をあげて逃げた。
その後、会社を辞めてからも、寺の近くに住んで何かとわしの面倒みてくれた娘が西町のど真ん中で追突事故を起こして顔半分をつぶしてしまい手術でも痕(あと)が残って、逃げるように富山を出ていった。
T紙を辞めてから三十年、ロクなことがない。女房との離婚とお金のゴタゴタは退職金で乗り越えたが、娘の事故の心痛、その日暮らしの無精な生活は体の弱いところ、頭と足にきた。ついにこんなボロボロの体になったよ。余命いくばくもないが、たまに元女房のアパートに転がり込む。二日ほどいると彼女も嫌気がさして追い出される。その繰り返し。老いぼれのなれの果てだな。神亀(じんき)元年から八百年の歴史ある宝満寺も宝が方々に散ってしまったよ、俺の腐った体が朽ちたら終わり」
三年前の姿がなぜか鮮やかに甦る。その後何度も寺に寄ったが不在で、入院する体になったのか人の気配が無くなり、正門への参道は落ち葉がそのままで、段々朽ちてゆく寺になりつつあった。
お悔やみ欄から目を離すと記憶が四十五年前に飛ん