ブロンズ像
飯田 労
カット 後藤必
私は今静かな思いでこの手記を書いています。あの男(ひと)に読んでもらいたい為に。
その男の名は嵐山十五。日本文化としての小説や詩や短歌などの衰退の流れに立ち向かい、同人誌等を通じてその底辺を拡大させ再びの隆盛を極めんと、更にはもはや弊害としか言いようのない出版業界の流通の在りかたまで変えようとする人物。その先鋒にあるのが彼の出版社で出している「文芸潮流」という雑誌。もう七十歳を過ぎていると聞きましたが、広がりを見せる額と薄い頭髪を除けば、目尻を下げ唇の端に微笑みを含んだ表情は優しげで若々しく、まるで慈しむ笑顔で孫を見るような、そんな写真が雑誌の随所に見受けられます。弟に言わせれば、我々小説を書く者にとっては力強く差しのべられた手のような存在だという事です。
その弟が自殺を図りました。仕事の途中の一服や昼食の時に必ずといって良い程に使用していたお気に入りの場所でした。弟はそこに軽のライトバンを止めました。発見当時マフラーにはホースが突っ込まれ、排ガスの漏れを防ぐようにアルミのテープが幾重にも巻かれ、その反対側の先端は僅かに開かれた助手席の窓に入れられ、隙間はダンボールが当てられていたそうです。窓やドアは布テープで目張りされ運転席側は内側から貼られていた、と聞かされました。そうして弟は母が常備薬としていた睡眠薬と精神安定の錠剤の総てを胃に流し込み、エンジンをスタートさせたのでしょう。
弟はもう何十年も大手配送会社の宅配の委託業務をしておりました。毎朝NHKの朝の連続テレビドラマを見ながら食事をし、終えるとそのまま出掛けます。会社に着くとその日配達分の荷物を受け取り、コースを考えながら車に積み込むと一日の始まりです。担当のエリアは変わる事は有りません。得意先の会社や住宅など一度憶えてしまえば余り地図に頼る事もありませんし、数か月も回れば各家庭の家族構成やライフスタイルも判ってきます。それらの事を考慮に入れたルートを組めば気楽な仕事だと申しておりました。
その仕事によく走る県道は海岸沿いを、時には近付いたり離れたりしていました。街中を走っているかと思えば急に建物の間から海が見えたり、流れ込む川を渡ると大きな球形のガスタンクがあったり穀物サイトが並んでいたり。船溜まりには小型の船舶が縁を寄せ合って停泊しています。やがて豪華客船も横づけ出来る埠頭が現れます。そこを過ぎると今度はコンテナが積まれフォークリフトやトラックの出入り、そして倉庫の壁。
しばらく走ると急にグランドの広がり。早朝や休日には野球やソフトボールに興じる人。そのグランドの横に輪立ちだけの、軽自動車がようやく通れる程の踏みつけられた道が伸びています。フェンスと背の高い雑草の間を抜けると防風の為の松林が有り、その先には海が見えます。突き当たりの膝小僧程の低い防波堤、その辺りが少し開けていて弟はそこに車を停めます。防波堤から身を乗り出して下を覗くと、荒れれば波で隠れてしまうほどの石塊だらけの狭い海岸。太陽と海水に晒された白い肌を見せる流木、光沢を失ったペットボトル、異国の文字の書かれた日用雑貨。あるいは打ち上げられ、あるいは波に弄ばれるように沖に引いたり浜に寄せられたり。
弟は晴れた日にはその防波堤に腰掛け、天気の悪い日や寒い日などはライトバンの荷物を押しやってスペースを作り、そこでインスタントラーメンにお湯を注ぎ、私が用意したおにぎりを二個、海を見ながら松風の音を聞きながら食するのです。最初の頃、弁当を作ろうか、という事も言いましたが、この方がちょっとした野外の雰囲気が味わえる、ともう何十年も続いている習慣です。そしてその場を弟は死に場所に選んだのです。