井戸の底へ 
                 池田良治 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 飛行機から最後に降りてきた州(す)濱(はま)亮(りよう)一(いち)は鼻をうごめかした。
 異様に大きな頭、ヌルッとした額には、皺ひとつない。大きくて赤く充血している眼は、長い睫に覆われているものの、不思議なほど可愛さを感じられない。子どもかと思われるほどの小さなからだには異様に大きなリックを背負っている。目立っていた。なんとも不思議だったのは両脇からは蝙蝠のような翼が生えていることだった。特製の松葉杖だった。また両脚は金属の装具の赤と青の網目で覆われており、それはまるで出稼ぎの異星人といった風だった。
 亮一はタイ国のバンコックに着いた。夜も更けていたが、南国の夜は蒸し暑い。
 松葉杖でタラップを水辺の小鳥の散歩のように軽快に降りると、空港バスに乗車した。驚くほどのスピードで空港前の広場へ向かう。たむろしていた三輪車のタクシーサムローを捕まえて夜の町へと泳がせた。サムローはメナム川に沿って疾駆する。川沿いに貧民街の掘っ立て小屋の群れがながながと続いていた。町の通りに入ると、小さな屋台が裸電球の下でまだ営業している。昼間笑顔を使い尽した細い腕の女がじっとこちらを見ていた。
 宿に着いた。黄色いドアだった。細長い部屋にベット、洗面台、トイレ、長椅子。みな薄汚く黄色で塗られている。
 退屈していたのか、主人が部屋までチャイを運んできた。シナモンシュガーの香りがする。主人は髭をひねりながら聞いてきた。
「足、どうした?」
 無遠慮な眼差しである。亮一は小首をかしげて、額を指さした。
「頭の中の、できもの、とったら、こうなった」
 亮一はなんでもないことのように言った。
「はぁ〜? 手術か」
「YES」
 まだまだ好奇心は満たされない様子だったが、主人は出て行った。
 腹が硬くなってきた。尿が溜まってきたのだ。導尿をしなければならない。
 導尿は一日五回する。起床後すぐ、午前午後それぞれ一回、夕食後、就寝前である。ベットへ腰掛け、脚を引っ張り上げた。そして装具の赤と青のマジックテープをむしり取る。軽金属の網目があらわれた。それを爪先から引き摺り出してベットに立てかける。鳥のいない鳥篭のようにも見える。ズボンを脱ぐ。操り人形を動かすように片足ずつ持ち上げて両脚をM字に開く。リックから消毒液のボトル、オムツ、尿器、サヒィートネラトンカテーテル、エコソフトグローブを取り出す。装着しているオムツの両脇の切れ込みを破って下半身を露わにする。ムッとする尿の臭い。オムツにはたっぷり尿が溜まっているようだ。オムツを押し広げる。蒸された陰茎はぐにゃりとしていた。脚は青白く、割り箸のように細い。膝が木の瘤に似た影をシーツに落としている。エコソフトグローブを嵌めて、消毒液で拭う。それから左手で粘滑表面麻酔剤をチューブから右手の手袋へ塗る。次に右手で持ったカテーテルを鉛筆のようにして剥き出しの亀頭の切れ込みへ、ぐいと入れる。しばらくすると、尿器の中のカテーテルの筒先から麦藁色の液体がでる。尿器のプラスチックの側面に勢いよく当たってから、平らな底に丸く溜まり、浮かんだ泡がイクラのように連なっていく。亮一は泡同士がくっつきあった後、ぽつぽつと消えていくのを眺めるのが好きだった。挿入したカテーテルを抜き、赤く腫れた亀頭をアメジストクレンジングコットンでくるむように拭う。亀頭はゆっくり皮のなかに縮まってく。エコソフトグローブを裏返してコットンとカテーテルを包み込んでゴミ箱に捨てる。水色のテープで巻かれた容器の口からきつい尿の臭いが漂ってきた。その臭いは決まって最近酷くなってきた偏頭痛を引き起こすのだった。