暗淫

 

 彼女のことを書こうとしている。彼女が読んだら自分だとわかるだろう。本人にこれを見せるとプライバシーの侵害だと怒るかもしれない。常日頃、彼女をどう見ているが書かれているので、悪くとらえられかねない。だから、これを彼女に見せてはいけないのかもしれない。見せなければ、彼女は知ることもないのだ。こちらの心象をありのままに書いたら、彼女は傷つくかもしれない。本人にとっては真意を知る必要はないのだ。真意? 彼女のことがわからないのに真意も何もないはずだ。彼女のことがわからないから、書いてみようとしている。今はまだ書く前の段階だ。だいたいの内容は頭の中にある。彼女への想いを形のあるものにしなくてはいけない。形にするには文章化するのが一番いい。要は書いてみないとわからないのだ。

 想いの中で、彼女の存在が日増しに大きくなりつつある。物だって長く使えば愛着を覚える。ペットだって長く飼うと情がわく。彼女のことをぞんざいに扱えなくなっている。より親密になりたい気持ちと、これ以上深入りしたくないという気持ちが混在していて、煮え切らないままでいる。葛藤が増してきたのは、最近の彼女の行動や主義主張に、ついていけなくなっているからだ。変貌してきた彼女への対処方法がわからないままなのだ。動機としては、その対応を探るために、書いてみようとしている。まだ、書く前の段階だ。彼女に見せるつもりがないのに、反発を心配してどうする。先ずは書いてみないとわからない。自分だけのものだから、仮作成のままに終わったとしてもかまわない。

 彼女とはマッチングサイトで知り合った。今でも、そのことを後ろめたく思っている。出逢った切っ掛けのことを考えると、今後の付き合い方を考え直さなければいけない時期かもしれない。マッチングサイトも甲乙ある。大手の結婚情報サイトのように、社会的に認知されているものもある。性的関係に絞った相手を探すサイトだったので、世間的には認められないものだ。彼女にとっても触れられたくないことかもしれない。

 二人のあいだに波風も立つこともなく、平穏に月日は経ってきたのだが、最近、彼女の外見が激変した。長い髪をバッサリ切って坊主頭にしたのだ。ある本を読んで感化されたらしく、存在感のあるフェミニストを目指したのだ。以前から、男女同権であることを主張していたのだが、より攻撃的になった。時々、自分のことを俺と呼ぶようになった。外見だけでなく、血流改善のため男性用のトランスを着用している。下着の種類まで知っているという関係が今も継続している。坊主頭になってからは他の男が寄りつかなくなったらしい。だから、不特定多数相手の肉体関係はなくなったはずだ。若い女性だから坊主頭は目立つ。公共的な場所に出る時はおしゃれな帽子をかぶるが、自宅や職場では、毬栗(いがぐり)頭のままだ。尋常でない資質が以前からあったのだが、より先鋭化している。

 彼女の性的趣向を知っている。SNS上で、異性だけではなくて、同性愛情報にアクセスしていたのだ。以前から、少女に憧れがあった。実際に喫茶店で少女と待ち合わせしたらしい。好みに合わなかったのか、少女は話しもしないで自分のドリンク代だけをテーブルに置いて出て行った。少女の理想に彼女が合致しなかったのだ。今のところ彼女に女性体験はないと言う。彼女は冗談で「私はまだ処女よ」と言った。実体験には及ばなかったのだが、レスビアン志向の潜在意識があるということだ。マッチングさえすれば、同性同士で絡んだかもしれないのだ。今のところ実行していないから、単なる妄想上で展開しているだけの仮想レスビアンなのだ。少女趣向だけでなく、同年代前後の女性でも受入れられるのかは知らない。もし、少女より年代範囲を広げられるなら、ストライクゾーンが広くなり、実行性が高まる。ある日突然、バイセクシャルになってしまう可能性がある。

 彼女は婦人病を発症したことがある。これも公言してはいけないことだ。それは、付き合うようになってから判明した婦人病だった。経過を正直に話してくれた。治癒したらしいが、まだ後遺症があるらしい。性感染症と関連あるらしいが、覚える気がなかったので、難しい呼び方の正式病名は忘れた。リスクを伴うが、若い今なら子供はつくれるかもしれないと、医師に言われたらしい。彼女は子供をつくらない決断をしていた。そんな内情を知りながら、付き合っている。彼女は両親に、結婚もしないし、子供をつくらないと、啖呵を切った。性感染病罹患の原因を詮索されたくないだろうから、彼女自身は婦人病発症のことを両親に話していないと思う。

 坊主頭という外見が、家族や社会に反抗している。両親と言い争いが絶えず、家を出るように言われていた。未婚のままでいて、子供をつくらないと宣言したことが、両親との軋轢になっているかもしれないのだ。以前から、家庭内の諍いが絶えないことは聞いていた。両親との確執がひどくなり、彼女は耐えられなくなったのだ。とうとう、実家から賃貸アパートに引越すことなった。引越し決定を聞いてから、これを書き始めたことになる。

 実家には食費と光熱費くらいの実費分を入れている。生活費を一人暮らしと比較すると実家暮らしの方が掛からない。両親と一緒に彼女の弟も同居している。弟が家を継ぐらしいし、結婚相手もいると言う。弟が結婚後も同居を続けるかどうかは別にして、彼女は両親から独立を言い渡されていた。大学に通っていた頃は、学生寮ではなくて、アパートでの一人暮らしだった。自立できる能力はある。経済観念もしっかりしている。定職についてからは、実家暮らしと、一人暮らしを比較した場合の、損得勘定が働いていたので、今まで独立しなかったのだろう。一人暮らしが早まった事情の、本当のことは知らない。想像で話を膨らませているだけだ。

 彼女との接点が援助交際なので、二人にとっては表に出せない事情になる。今でも彼女と合体するごとに金銭授受が伴う。それは、売春形態に属する。以前、彼女の方から逢瀬の回数を増やされそうになった。逢う頻度を高めたがっている理由として、性的満足だけではなく、経済的受益となるからだ。一人暮らしだった学生の頃から節約意識が身についている。彼女はその頃から自立して生きるつもりでいたのだ。学生時代から援助交際で稼いでいたので、多額の蓄えがある。

 割り切っておのれの欲求だけを満たすだけの、ステディな関係だった。通常の恋愛だと、男はデートで見栄を張る。だから、想定以上の金を遣う。目的は合体することなので、ラブホテルで性行為を最短で済ませた方が効率的だった。性欲処理に掛かる労力を節約することができて、時間を有効に活用できる。肉体に絞った関係が二人の合理的選択だった。金銭で済ますことが双方のメリットになっている。二人に共通する趣味はあるのだが、一緒に行動しないように心掛けている。共通の想い出が発生しないからいいのだ。深入りすることがなければ、感情移入しなくていい。同伴して外に出る機会がほとんどないので、金の掛からないリーズナブルなパートナーとなる。その点では、彼女に満足している。両者はリアルな肌の感触を得たいだけなのだ。

 今まで通りに肉体を優先していくつもりでいる。だが、頼りないだけの肌感覚が積み重なってきている。段々と得体の知れないものを抑え込めなくなっている。感情が上書きされる。理屈が挿入され、妄想と現実が交互に干渉しあう。今現在、それらが混ざり合い、更新されようとしている。

 彼女の性欲は強い方だ。それでも、性病罹患経験からか、性交開始時は慎重になる。月一回しか合体しないせいか、ペニスの挿入がスムーズではない。愛液の分泌があるのだが、貫通するまで膣をなじませるのに苦労する。性交時の体位がいつも女性上位からの始まるのは、痛くならないように彼女が自分でペニスの挿入角度を微調整するからだ。そして、彼女から発動し、腰を動かす。ここまで続いたということは身体がマッチしたということだ。彼女が言うにはペニスがぴったりフィットするからで、それは大事なことだと強調する。最初は女性上位から始まるが、最後は正常位で終わるので、密室では男女同権だ。マンネリ化しないのは、月一回の性交にとどめているからで、辛うじて新鮮さがある。彼女に生活の乱れがないからか、手入れはしていなくてもきめ細かい肌は保たれている。繰り返しても飽きない食事のように、あって当たり前の性対象になっている。

 彼女の特殊な性癖はまだある。見ているそばで二次元媒体を見て前戯代わりのオナニーをする。二次元とはスマートフォンに描かれる成人漫画の卑猥なセックスシーンだ。それとは別の動画もあった。性器動画が画面上にクローズアップされた少女のオナニーシーンだった。男脳は視覚で性欲が高揚する。男だけがポルノグラフティやDVDを見ながらマスターベーションをするものだという断定が誤りだとわかった。独特な脳構造を持った異性がいること自体が発見だった。それよりも、自身のオナニーを見られても、恥ずかしいと思わない彼女の精神構造の方が問題だ。

 瑣末なことを書きすぎてしまったようだ。瑣末ついでにもう少し付け加えてみよう。

 思いのままに行動したい彼女を縛ることは無理だろう。長い髪をバッサリ切って坊主頭にしてきても何も言えなかった。それは、女を捨てたように見えた。ただし、不特定多数の男を相手にしない覚悟ができたみたいだ。彼女が坊主頭にしたのは今年の夏からで、若い女性にしては特異だった。正直に言うと、全く外出しなかったわけではない。坊主頭になる前から二人で行動を共にすることもあった。最近も一緒に外食をした。これから髪が少しのびるかもしれない。そうなったら、平穏な心情に落ち着くかもしれない。そうなったとしても、今までのような関係を続けていけるどうか不安でもある。

 彼女はアニメ好きな一面もある。絵を描くことを日常にしているが、読書も好きだ。フェミニスト関連の本を読み込んでいるだけでなく、全分野の本を早いペースで読破するし、優れた読解力がある。頭の良さには到底敵わない。ただ、アニメ以外のフィクションを認めないし、小説なんて論外だと言う。ジャズピアノが好きになったと言う。アニメ音楽でないから、音楽の好みが合致することを期待した。しかし、同じジャズでも微妙なズレがあったのだ。彼女の柔肌ほどはしっくりこない。

 子供の頃に大型犬を飼っていて、楽しかった記憶が鮮明にあるのだろう。メッセンジャーアプリの彼女自身を示すマークに昔の飼い犬の画像を使っている。大きな犬に引っ張られながら歩いている人の姿を、彼女は慈愛を持った目で眺めていたことがある。肌を合わせ、まったりしている時に、おどけて「ワン」と発したこともある。

 頭を見ないで肌だけ密着していれはいいのだと、自分に言い聞かせる。肌の感触だけが脳に重層的に堆積していく。その感覚がなくなるとしたたら、喪失感に堪えられない期間があるだろう。彼女の肌を繋ぎ止めたいので、家賃補てんを提案しようかどうか迷っている。そうすることが、深入りすることになるかもしれない。今まで彼女は心身をリーズナブルに供してきた方だ。悪かろう安かろうではない。格安な分だけ、彼女から贈与されていて、金銭だけの関係ではなくなっている。月々の負担金が増えたとしても、惜しいと思わないようになっている。

 出会ってから既に五年以上が経過している。一月に一回くらいの逢瀬でしかないのだが、同じ時間を共にした。一回が短くても、睦み合う時間をトータルすると、長く関わったことになる。過去の経緯はどうあれ、腐れ縁でも関わっていくのが道義的かもしれない。だが、こうも思う。彼女が割り切った関係に留まっているのは、それなりに考えがあるからだろう。いつ相手から去られたとしても、平常心でいようとしているはずだ。元々は互いに愛情がないまま始まったのだ。こちらとしても覚悟はしているはずなのに、関係消滅を恐れている自身の女々しさが鬱陶しい。

 性格の不一致は当然ある。それを承知で今まで付き合ってきたのだ。主義主張の違いが目立ってきたからといって、今になって関係の煩わしさを嘆いても仕方ない。彼女とは終のパートナーとして考えたことはない。二人にいつかは終わりが来る。それが早まるだけのことなのだ。腹を据えて覚悟すべき時期が来たのかもしれない。

 今週末、彼女と逢ってみて、今後も関係を続けられるのか、それとなく反応を見るしかない。二人の関係が早急に解消することはないだろう。ただ、何かの発端があれば脆いものだ。こちらから提案を彼女が拒むかもしれない。今までは金銭で寂しさを紛らしてきた。二人は独身なので気楽だったし、トラブルも苦労もなかった。彼女の外見はともかく、きめ細かい肌と感情を持っている生身の女なのだ。否応なく情が移りそうになる。人間相手だと簡単に物ごとが進まないものだ。最も心配なのは彼女を前にして何も言えないことかもしれない。

 今週末、月一回のサイクルを変更したいという提案をしてみる。前回、実家を離れてアパートに引越したいという話を聞いた。それからわずかな日にちしか経っていないのに、彼女のことを考える時間が多くなった。月二回に逢瀬を増やす提案をして、その二回分の金銭を月に一括して渡すのだ。そうしたら、彼女の部屋が逢瀬の場所になるかもしれない。駄目もとで提案をしてみるつもりでいる。

 もし、提案が通ったとしたら、どうなっているのだろう。後日、別の環境に彼女がいることは確かだ。数年後の情況を想像するのは難しいが、近い日ならイメージできるかもしれない。それぐらいの場面なら、描けるかもしれない。

 

 目覚めた男は窓の方向を見る。ここは北向きに面したアパートの一室だ。西日が差し込まないので、昼過ぎでも薄暗い部屋だ。外気温が上がっているはずなのだが、エアコンの暖房温度を下げないでいる。男はうつらうつらした意識の中で隣を見る。そばには今月からここの部屋の家主となった女が寝ていて、微かに発する寝息が聞こえる。久しぶりにまじまじと見る女の横顔は均整がとれていた。頭が枕に埋まり、毛髪のように包み込んでいるので、この時は女らしく見えていた。

 目の前にいる女と男は前回より二週間早く交わったことになる。以前はほぼ一ヶ月周期で肉体を貪り合っていた。女は若いので性欲は旺盛だ。だから、短いサイクルでの逢瀬は女にしてみれば望むところだった。男との年齢差は親子以上ある。男の方は年齢からくる性ホルモン分泌の衰えがあるから、長期間の禁欲も不可能ではなかった。毎回、年齢に抗い肉体を鼓舞して性行為に及んでいた。それでも、女は欲求不満気味でいた。女はオナニーをすることで、性欲を発散していると、男に打ち明けて久しい。男自身も精力が旺盛だった若い頃はオナニーが必要不可欠なものだった。だから、男自身と比較しても女が異常でないことは理解できていた。

 窓際にはコンポステレオが置いてある。女が実家から離れて、アパートで一人暮らしをすることになった。最初は何かと物入りだろうからと、男は新たに揃える予定だったオーディオ購入を保留させた。女に貸すために男が持ってきたものだ。CDケースがコンポステレオに立て掛けるように置いてある。女はジャズピアノを聴くようになったと言ったので、男が持ってきたものだ。性交時に女の発するあえぎ声が大きい。隔てた壁の向こうから掃除機の音が微かに聞こえることがある。声が漏れることはないと思うが、用心に越したことはない。アパートは平穏に暮すことを目的とする集合住宅だ。不注意で隣人を不快にさせることはない。彼女のあえぎ声を消すためにステレオの音量を上げておいた。

 しばらく前までジャズのピアノ曲が流れる部屋の中で女と交わっていた。男は午睡のまどろみから目覚めようとしていた。

 

 一応、ここまでは頭の中での妄想だ。妄想を描くことは自由で、拘束されることはない。プロパガンダのできる強大な権力を持つ独裁者でも、人間個々人の想像力までは消し去ることはできない。頭の中のことだけなので、現時点ではどんな妄想を描いてもいい。ここまで書いてみて、人間を描くことが非常に難しいことがわかった。坊主頭の女性を見掛けないだろうから、彼女は目立つ。中途半端な形で文章化してしまうと、彼女を特定することが容易になる。こんな風なものを書いてみたのだと、彼女にこの文章を見せたとしたら、反発することは確かだ。ここでは、彼女をモデルにしているのだが、本人から了承を受けていない。秘密裏に書き残すことさえ許されないかもしれない。これ以降は架空の設定で描かなくてはいけないだろう。

 彼女にとっては、どこまでが許容範囲なのか、仕上がった文章を見なければ見当がつかない。書いてみないとどんなものができるかわからないからだ。予測できないから、とりあえず書いてみよう思ったのだ。ここでは完全に仕上げなくてよいだろう。習作状態でいいのだ。先ずは自分の判断材料にしてみようと思ったのだ。危ういものになったら、この文章を彼女に見せなければいいのだ。だから、自由に書いていい。

 

 女のアパートから職場まで車で一五分掛かる。男の家から女のアパートまで車で五〇分ほど掛かる。電車の停まる駅からは歩くと遠い。バス停はあるが一時間に一本ほどしか運行していない。スーパーやコンビニまで車だと五分で行けるが、歩くと三〇分以上掛かる。ほとんど車で移動するので支障はないのだろう。そんな辺鄙な場所に建つアパートなので、新しくて広いわりには家賃が安い。女の部屋は道路側に面した北向きの一階にあった。

 女が目覚めたらしい。裸の男女二人が一つの布団の中に入ったままでいた。男は女に尋ねた。

「現時点では互いがパートナーだと思っている。それでも、これから不測の事態が発生するかもしれない。外圧がなくても何かの切っ掛けで、内側から崩壊することもある。あるいは、どっちかがこの関係を解消したいと望むかもしれない。別れるのは簡単だ。身体だけの関係だと賞味期限が来ると同時に関係は終える。そんなことを考えると悲しくなるんだ。君はどう?」

「別に何とも……。そんなこと考えたことはないわ。なってもいないのに考えてもしょうがない。いつも言っていることだけど、なるようにしかならないのよ」

「世の中には仮面カップルなんていない。表に出ていないなら、カップルそのものが存在していないことになる。当然、社会の構成員として認知されることはない。大きな年齢差がある場合もカップルの定義に背いているかもしれない。だから、社会に認知されるなんて無理だね」

「定義って何? 自分たちは背徳のカップルなの?」

「そうだよ。社会に貢献したりしないと、世間から認めてもらえないと思う」

「それだと、頑張って努力したとしても長く掛かるわね。あなたの寿命からして現状を打開するのは無理ね」

「そうか……

「だからこうして理想を語るようにシミュレーションしているわけでしょ?」

「シミュレーション? さて、何のことかな? こんなんでいいのなら、書き続けることができるけど……

 そこに机がある。これから君がデスクワークで使うことになるのだろう机だ。さっきそこに座ってみた。そこで、これから起こることを書こうとしていたんだ。その一番上の紙面にはまだタイトルが記入されていない。中身も完成していないけれど、頭の中ではほぼ内容が決まっている。まだ途中なので、付箋を付けておく。

 その付箋には、

−仮作成、下書きの途中−

 と手書きするつもりでいる。

 その紙の綴りを見ながら、こうやって語ることになるんだ。

 

 最初に申し上げておきます。

 今回は私費での発刊です。前回のレポートの続きとして、私個人の体験を記録したものです。一部、実際の記憶と相違しているかもしれませんが、いずれにせよ、個人のイメージです。プライベートな幻想を、レポート上に再現しているようなものなので、事実現象とは差異があることをお許しください。

 まだインフルエンサーになれませんが、前回は公的なネット記事に商品説明欄のコラムを書く機会を得られました。少し長めの商品使用報告のようなものでした。ネット記事上で、バーチャル・グラスを装着して汎用的な使い方を紹介しました。

 前回、ネット上の公的記事とは別のメモ書きを同人誌に掲載しました。個人の特定を避けるためにペンネームで発表しました。マイナーな出版物なので影響がないという前提でした。その時もゴーグルタイプのサングラスのような、バーチャル・グラスを紹介したと思います

 今回は個人のプライベート版です。皆様はこれを紙面で読まれていると思います。

 それでは、個人的体験記をお読みください。

 それは、こんなことから始まります。

 

 スイミング・ゴーグルよりやや大きくて、花粉対策用メガネの形をしていた。サングラスのように全体が黒いバーチャル・グラスを掛けてみた。最初は光が全くなかった。安眠用のアイマスクをしたような感覚だった。瞼を閉じても、直前の残像が残っているような気がした。だが、目の前に何もなかった。瞼を閉じていても、完全な暗闇ではなく、前方が白っぽく見えるだけだった。

 突然、女の声が聴こえた。

 耳元のバーチャル・グラスから立体的で原音に近い音声が流れた。目の前には何かが映った。黒一色から段々と明るくなっていった。画面調整をするように、斑の原色が交差していった。列車の窓から花畑を見ているように、パターンが移動したり、ドローンで空中に浮かび、整然とした麦畑を、見下ろしているようにも見えた。

 画面が硬直したように動かなり、女の声だけが聴こえる。地底から木霊すような透き通った声がした。癒し系リラクゼーション効果を狙ったものなのかもしれない。そのうちに、ただ女の声を聴いているだけみたいになっていき、画面全体が黒とも白とも判別できなくなった。

 モノクロになった画面を見ていると、段々と眠くなってきた。意識が遠くなっていく中で、女の声だけが響いた。女はこう言ったのだ。

『どうですか? 故障ではありません。最初はパターン映像を映しました。そして、画面が固まったように見えるのは、前面に視覚が集中していることを確認するためのものです。これは心理を描写する最新装置です。あなたはこの装置の音声だけでイメージするのです。そして、あなたがイメージした通りの場面が画面に映るのです。

 ここからは私の声だけでイメージするようにしてください。イメージした通りのものが画面に映ります。あなたのイメージはこうですね?』

 耳元から淀みのない女の声が続く。

『あなたの目には四階建てのアパートのような建物が映っているはずです。あなたは浮遊感があるかもしれませんが、しっかりと建物前のコンクリートの歩道を歩いています。暗くなってきたので、街灯が点きました。道路を挟んで向かいに一軒家が立っていました。あなたには一軒家の屋根に備えられた白いBSアンテナが夕暮れに浮かぶように見えています。一軒家の屋根の南西方向を向くBSアンテナの方向からして、大きめな建物の道路側が、北向きだとわかりました』

 語る女の音声からイメージするのか、女がこちらのイメージした情景を語るのか、判別が困難になっていった。それでも、その時はその状態を記憶しようと努めていた。だが、後で思い返そうとしてみても、完全に映像を見たという確証がないのだ。ひょっとして、女に誘導されるまま、女の語りだけでイメージしていただけなのかもしれない。女が語り描いた情景を想い出しながら、こうやって書いている。

『人々が退社する時間にはまだ少し早い時間帯なのか、道路を走る車を見掛けません。子供がいる家庭なら、部屋に灯りが点いていてもおかしくないはずです。建物のそれぞれの部屋に人の気配はありませんでした。一階の道路側の窓が一つだけ明るかったのです。あなたは自分がなぜそこを歩いているのかわかっていません。歩いていると、たまたま明るい部屋が見えたのです。大きな建物と道路のあいだには腰ほどの高さの生垣があり、その下に側溝があります。窓は歩道から三メートルほどしか離れていなかったのです。暗闇が占めつつある中で、明るい光の漏れる窓が目に入ってしまうのです。白い薄手のカーテンが少し開いて道路側からも部屋が覗けたのです。

 他に歩道を歩く人を見掛けませんでした。それでも、あなたは不審者に間違われないよう歩みを止めませんでした。歩きながら、カーテンの隙間を覗いたのです。窓際の棚の上に犬のぬいぐるみの後ろ姿が見えます。机が低い位置にあるのか、同じ高さにある左側から、スタンドライトの光にぬいぐるみが照らされていました。道路側から見ると、部屋の奥の方からも光が差していたので、姿見でもあるのかもしれません。スタンドライトの光に照らされた右側のカーテンにシルエットはありませんでした。シルエットがなくてもベッドに誰かが寝そべっているのです。あなたには見えてはいませんが、犬のぬいぐるみからはベッドを見ることができます。

 あなたには誰かが横たわっているような気配がありました。想い描いているうちに、あなたのイメージ通りの場面が出現したのです。ベッドに横たわっていたのは裸の女でした。女はスマートフォンを見ていたのです。あなたの視線がフォーカスインされました。スマートフォンの画面上では女性器だけが蠢くように映されています。映された性器の実年齢は不明なのですが、未熟な形状とみずみずしい肌艶からして、ハイティーンの女性器らしいのです。画面上では自慰行為に及んでいる女性器だけが大映しになっているのです。あなたはスマートフォンの画面から目を逸らしました。元の視線に戻りました。すると、ベッドに横たわっている女が、スマートフォンを見ながら、自らの快楽を得るために、自分の指で自身の性器をほぐしているのです。あなたが想像した通りでした。少女の性器を見ながらオナニーをしている女の姿を目撃したのです』

 イメージしたものが現実のように見ることができたのだ。実際の光景として目の前に女が現れたことになる。目の前にいるベッド上の女に幼さはなく、二十代の後半のようだ。女は時々こちらを振り返って見ることがある。自分は何者だ。こちらの意志で視線を自由に向けることができる。姿見に映るカーテンの隙間から外を見る。外は夜だった。ガラス戸の外が黒いので、鏡のように室内の光が照り返している。姿見を凝視する。奥に反射する一対の光がある。光の出所からこちらの位置を推し量る。高さと部屋を映す角度から、自身の両の目からの視線であることを確認した。

 そこにあるのは犬のゆいぐるみだった。こちらの視線は犬のぬいぐるみの目から発しているらしい。犬の目の中に可動式のCCDカメラが組み込まれているなら、視線の意味が理解できる。犬の目から、目の前の裸の女を見ていたのだ。

 イメージしたものが、よりリアルな現実となる。

 女を観察するように見ていた。女はベッドに横になっていた。ベッドの上で一糸まとわない下半身をさらけ出している。女は右手に持つスマートフォンを左手に持ち替えた。視線をフォーカスして、画面上を捉えた。その画面には少女の手の甲と陰部だけが映されている。画面の中に少女の指が動く。その画面を見ながら女は振動する小さな物体を右手に持っていった。それを自分の陰部に当てて自慰行為を始めた。通販で買ったばかりなのか、ベッドの傍らには箱が置いてあった。箱にはハンディマッサージと表示されていた。

 その女の頭を見ると、坊主頭だった。

 再び女の声がして、

『あなたはそのまま真っ直ぐ歩道を歩いて行きます。その場所から遠ざかりながらも、あなたの頭の中にイメージがあります。左側のカーテンの後ろに人の形をしたシルエットが見えたのでした。その時、部屋の中の情況が見えました。そこには机に向かう人物がいたのです。カーテンの後ろに見える黒い影は、机に向かっているあなたの分身だったのです。

 あなたの目の前には下書きらしい紙の綴りが置かれていました。あなたは手に取ろうとしていたのです。

 −仮作成、下書きの途中−

 と書かれた付箋が張ってありました』

 女はスマートフォンと小さな物体を両手から離した。換わりに犬のぬいぐるみを抱えた。犬のぬいぐるみには身の丈に釣り合わない大きなペニスが付いている。女はその犬のぬいぐるみを剥き出しの股のあいだに置いた。すると、ぬいぐるみは大型犬サイズに膨張した。巨大なぬいぐるみの犬が人間の女と正常位で交尾を始めた。

 先ほどの女の語りかけがなかった。女の語りで目の前の光景がオートマチックに変わるとばかり思っていた。予測は外れた。ブロックノイズが発生し、遠近の場面が混濁する。

 肌が身近にあって接触している。女の虚脱した表情の坊主頭が数センチ前にあり、視覚だけでは把握できない。目の前に見える光景が理解できない。視覚では捉えられないほど密着している。自分なのか相手なのか判別できない肌の温もりがある。耳元で女の大きな喘ぎ声が共振するように響きわたる。そんな中でも、神経が通わない別の部位になった自身の下腹部が、勝手に振幅している。

 下を向く顔を、そらすように、右側方向に傾ける。棚の上にあったはずの犬のぬいぐるみがない。その向こう側の机がある。その机に向かう男がいた。

 男が机から顔を上げて、カーテンの隙間から窓を眺めている。男の角度によっては、暗闇を背景にして、窓が鏡になる。部屋の内部の反射像が重複するように窓に映る。二つの映像が重なる。一つは道路にいる男がこちらを見ている姿だった。もう一つの像は、女が下になり、大きな犬の被りものをした男と抱き合う一対の塊だった。

 机に向かう男は、もう一度、カーテンの隙間から人影を探した。対峙する向こう側の闇に向かって、歩道を真っ直ぐ歩く男の姿があった」