あるファイル
ある部屋に入った。
机の上にはA4の汎用用紙の束が横向きに置いてある。紙面上にはプリンターで印刷されたモノクロの文字が縦向きに並んでいた。それぞれの紙にナンバーが付されている。表面に印刷されていて、裏は白いままだ。所々に、A3の情報用紙を折った、ミニコミ誌のような物も挟まっていた。
手書きされた綴りからの転記だった。手書きされた文章は罫線入りのB5用紙の中にあった。元々はB5の横書き用紙で、ページの右上に日付を記入する欄があった。時計回りに九十度回す。すると、一番右端の罫線に沿って小さな文字が上に向かって立ち上がり、dateという表記になる。
横向きにした用紙の、右端から左に、規則正しく罫線が引かれている。用紙の上部に、バインダー用の二六の穴が沿うように空いていて、罫線のあいだに手書きされた文章が縦に並んでいた。
手書きの用紙は別にまとめてファイルされていた。文章ごとに独立しているらしく、それぞれ一ページから始まっていた。用紙には日付の欄があるのに、記入していないものもある。日付があったとしても、綴じられ方はランダムだった。日付通りの順番ではなく、どんな根拠で並べ替えたのか見当がつかなかった。
手書きの字体は癖があったので、古文書を読み解くように手間が掛かった。読み慣れると前後の文脈で解読できるようになった。取り敢えず、手書きだった元の文章をワープロソフト上に転記した。文字をテキスト文書に起こして、印刷された紙面とは別に、文書ファイルとして、USBメモリーにバックアップしておいた。
中間物として、このようなA4印刷物になった。なぜ、わざわざ印刷に掛けたかを説明しよう。脈絡のない文章を、体系的に見ようとしても、限界があり、頭が混乱する。ワープロソフト内だけでは編集が難しい。そこで、構成しやすいように紙面に印刷してみた。
これから、別れているそれぞれの手書き文章を連綿とした印刷物にする。順番がなかったものを、最終的には連番を付すまでにしたい。
これから、広い机の上に紙面を並べてみる。
あの日から世界は変わった。
男は暗闇に向かって真っ直ぐ歩いていた。前方と左右に道路が交差する歩道に立ち止まって、小高い山頂を見上げた。日中なのに、白墨でなぞったような稜線の背景があり、その大部分を占める大きな山型の影絵の黒が迫る。
左右の方向へ向かう道路幅は、歩道がない分狭かった。前方の車道には車止めのフェンスが張られていた。歩道には遮るものがなく、そのまま前進できた。舗装されたばかりの車道や歩道のアスファルトが、山腹に向かって延びている。
男は真っ直ぐ延びる道路の右側の歩道を直進した。まだセンターラインの引かれていない車道と、歩道のあいだの、セメント部分の灰色に誘導されて、緩やかな坂道を登って行った。しばらく歩くとトンネルがあり、入り口付近だけ照明が灯っている。舗装したての匂いがトンネルの中に充満していた。
暗黒が続くトンネルの中を手さぐりで歩道沿いを歩く。先が見えないので歩道側のセメント部分に右手を差し出すように触れながら歩く。工事中のトンネルにしては突起物がなく、漆器のように側面が滑らかだ。真っ直ぐ歩いているつもりなのだが、暗闇の中では右左に蛇行していてもわからない。
トンネルの進行方向に向かって進んでいる時だった。一瞬の閃光が走り、漆黒の闇に強烈な日差しが闖入してきた。トンネル内の前方に、屋外のような光の照り返しがあった。
あの光は何だったのだろう。男は訝りながらも、光の方向に向かう。強烈な光は尋常ではなかった。隕石の衝突があったのなら、衝撃音が響くはずだ。異常に静かなのはなぜだ。強烈なパルスが発生して、空間に裂け目が生じ、別の世界に通じたわけでもないだろう。トンネルの中にいても衝撃はなかった。振動さえもなかった。
どんな世界も終わりが来る。リセットされる。次の世界へ移行して、再構築されることを、男は望んでいたのかもしれない。
トンネルを出て、山頂に向かう山道を、電動マイクロカーで戻ろうとしている。
トンネルを抜ける度に既視感が再来する。疑似体験がある。あるいは、予知夢の再現かもしれない。
今のような電動車ではなく、ガソリン車が走っていた頃は人々の暮らしはまだ継続の兆しがあった。人口の変化のなかった頃なので、楽観的でもあった。
あれは核爆弾ではない。もっと人類の根源的な抹殺を意味するものだ。DNAの自壊作用を促すもののはずだ。電波が消えたことと関係があるらしい。大気を検証しようとした科学者から先に死亡している。科学に強い理系の人間がこの世からいなくなりつつある。科学的見地で説得できる者がいなくなり、危機を解明できる実際的な人材がいなくなっている。優秀な指導者も少なくなっている。今は、仙人みたいな生活をしている、世の中に役立たない者が生き残っている。
あの光の後から、世の中はパニックになった。少し経ってからのことだ。不条理に至った原因について知りたくなった。暗鬱とした情況が続き、心細くなるばかりだった。情報の真偽をチェックしてくれる人物が近くにいてほしかった。以前から関わりの深かった人物がいたかを振り返ってみた。
心当たりのある人物を探しに下界に降りたことがある。
屋根にアンテナのある一軒家を多く見掛けることができた。アンテナが役立たなくなってから、半年が経った。以前のように電波を受信するために使われることがあるのだろうかと思いながら、その地区を歩いていた。
K町といっても広く、昔からの家が多くある。ガソリンを手に入れることができたので、その地域まで行くことができた。そこまではたどり着けたのだが、彼女の家を見つける手だてはなかった。せめて何丁目だと聞いておけば良かった。旧国道を挟んだKという町名は、南北に丘陵地帯が続き、平野部に向けて住宅地が広がる。区域は広く、古い一戸建ての住宅がたくさん立っていた。
いくつも別れていた住宅団地が、時を経て、一つの町並みに同化されていた。車庫を別に増築している家は少なかった。ほとんどの家の前にはカーポートがあり、その中の車を見て回った。
貿易が極端に少なくなってから、日本にも大きな影響が出ている。原油の輸入量が極端に減っている。通貨制度も崩壊しつつある。貨幣の価値がなくなり、金融資産は霧散した。現物交換だけの市場もあった。残存する燃料などを、食料等に物々交換する姿を頻繁に見たことがある。不在者宅が多くなるにつけ、元の居住者の了承なしに燃料タンクから灯油を盗む者もいる。灯油でディーゼルエンジン車を動かせるからだ。車を使う機会が少なくなり、歩くことが多くなった。目的地まで行って用事を済ますのに半日から一日を掛けることもある。
少し前まで乗用車を良く見掛けた。トラックも走っていた。ただし、物流量は限られていた。主なトラックは救援物質を運ぶためだった。それらのトラックを見たのは最初のうちだけだった。今は軽油が底をついている。国家間の貿易がなくなったので、物資が不足がちになっている。原油の備蓄はもう直ぐ無くなるだろう。
人を見掛けることは少なくなった要因の一つに、食料等の配給が一元管理されたことにある。大規模避難所に移る家族が多くなったこともある。政府は備蓄米を放出しないわけにはいかなかったが、量には限りがある。最近は炭水化物中心の保存食ばかり口にしている。食料調達が優先事項だった。電源が乏しいから、保存用の冷蔵庫が使えない。日本の食料自給率が低かったことが災いとなった。食料を確保するにも限界があって、当初はパニックだったが、半年が経過して、混乱が小さくなった。何らかの原因で人口が極端に減っていることが予想される。
テレビやラジオも携帯電話も入らないから、情報源がなかった。今では家にいる人も少ない。異変が起きてからは食料調達くらいしかできなかった。今はそんな人々も見なくなっている。当時と情況が違っている。
当初は盗難が多かったので、自警団が各地域で組織された。道路で呼び止められることがあった。目的地を告げなければ通してくれない地域もあった。もうそんなことをしなくて良くなった。
そこは古くからある町だった。どれも似たような家が続いていた。彼女の乗っていた車の車種や色は覚えている。家の前の空きスペースに置いていると言っていた。ナンバーの末尾二桁が「35」だったことまでは覚えている。車が見つければそこが彼女の家だとわかる。実家に帰っているなら会えるかもしれない。
あれはまだ逢瀬が頻繁に続いていた頃のことだ。
会話の中で彼女は昔からあるKに住んでいると言った。Kは旧の地名で今は広い領域をさすようになった。自然災害の少ない県だったが、話の流れで、地震のことが話題に上がった。それに関連した会話を思い出した。
「K山丘陵に沿って、活断層帯があるって、ニュースに出ていた。県内では一番大きい断層帯らしいよ」
「大丈夫かしら」
「大丈夫だよ。市街地のようにビルがあるわけでない。住宅地だし、耐震基準に適合した家なら、強い地震があっても壊れることはないと思うよ」
「わたしの家は古いから大きい地震にあったら無理ね」
「どれだけの大きさの地震によるかもしれない。耐震補強をしていない家なら、大地震にあったとしても、二階なら助かるかもしれない」
そんなやりとりがあった。もっと詳細に住所を聞いておけば良かった。今となっては遅い。
情交が長期間続いたパートナーだった。スキンシップの一番多かった異性でもある。皮膚感覚に比例して、想いや感情が連動することがなかった。人間関係に執着することが嫌だったので、深く関わることを避けていたのかもしれない。あの頃はただ時をやり過ごしているだけだった。今になって見れば大事な時間だった。
彼女とは逢う機会が減ってからも、連絡を定期的に取り合っていた。電波が通じなくなったあの日から、連絡が途絶えた。彼女の前では、異性として建前があったかもしれないが、人間として素直になれた。逢えないと悟ってから、存在感が増してきた。いないと想うと寂しさが増す。もっと早くから探すべきだった。電波が使えなくなってからは、身近な家族や親戚の安否を優先してしまった。今は後悔している。
彼女の家から少し離れた所に、ホームセンターがある。そこの駐車場が、彼女と別れた最後の場所になった。以前から住んでいただろう彼女の家がわからない。居場所は不明なままだ。家の築年数が三〇年は経っていると言った。その地域は古い家ばかりだった。
少し前まで携帯電話で簡単にアクセスでることが当たり前だった。無線が使えなくなったので、以前の有線電話に戻るしかない。その有線電話も相手先があってのことだ。今は彼女を見つけることが難しくなっている。
バギータイプの電動車を所有している。
山頂までの未舗装路は、小型車一台ほどしか通過できない狭さだ。電動車にはカセット式バッテリーを搭載している。山頂から降りた丘陵地の中央部の、今は誰もいなくなった別荘地の一角にしか充電設備がない。フル充電のバッテリーと交換するためには、時々山頂から降りなくてはいけなかった。先ほど、その設備のある所まで行ってきた。
その充電施設は公共の敷地公園の中にある。駐車場の脇に電柱のようなポールが立っている。ポールを巻くように光発電パネルが設置されている。パネルの四方の隅を地面から支えるため、金属の支柱で支えられて、ポールのてっぺんには風洞をカットしたような中でプロペラが回っている。太陽光で発電できない夜間や、天候の悪い時でも、風力で発電ができるハイブリッド型の発電設備だった。
バギータイプの電動車はマイクロカーだった。電動車のバッテリーは、カセット式なので、交換するだけ良く、充電時間は必要ない。
充電設備で充電済のバッテリーと交換してきた。家は扇状地から登った山の頂きにあり、連峰を望むことができた。そこは山林に囲まれているので、丘陵地から山頂の建物は見えない。
敷地公園は山の斜面を平らに均したような地面が続く。丘陵地帯の中心部にあって、北西方向には海を望むこともできる。その丘陵地帯は近年別荘地として開発が進んだ。ロッジ風の家構えが点在している。等間隔に敷地があり、日差しの関係か、家の玄関口の方向が一緒だ。別荘の周囲の雑木がなければ、それぞれが似たような家構えなので、没個性的な里山の住宅団地のようだ。
公園内にある充電設備は、汎用タイプの充電設備で、公共的なインフラだった。公園周辺でゴルフカートのような乗り物を良く見掛けた。それはバッテリーで動くゴルフ目的の乗り物ではない。高齢者の居住者が、公園周辺を散策するためのものだった。
山頂の家まで電気が来なくなった。夜は最低限の照明が必要なので、簡易な太陽光発電装置を使っている。カセット式バッテリーのような高効率なタイプではない。昔、通販で買った非常用電源確保のための備品だった。今は役立っている。自動車用のバッテリーに充電しておけば、夜は小ワットのLED照明を、点けっぱなしにしてもいいくらいだ。
電動車に使うために充電済のカセット式バッテリーが必要だった。山頂の家を出て、バッテリーを交換するために丘陵地まで下る。マイクロカーなので長いこと充電しなくてもバッテリーの持ちはいい。公共の充電設備には八個のカセット式バッテリーが備えられている。レンタル式で手持ちの汎用バッテリーと交換するだけで済むのだ。
以前はスマートフォンをかざすだけだった。今はその必要がない。緊急事態中は課金されないことになっていて、ロックも解除されていた。ただし、替えのバッテリーを持って行かないと交換はできないシステムになっていた。交換用の汎用バッテリーを持参して、個別番号を入力することによって、バッテリー収納扉が開く。先ほど、公園の充電設備で、電動車のカセット式バッテリー二個を交換してきた。
山頂の家は亡くなった叔父の別宅だった。小さな山荘だけれど、静かでとても環境が良かった。たまに住まないと劣化が早まるというので、叔父が存命だった頃から借りていた。読書や資料の整理をしたい時は重宝していた。山の頂きにポツンと立っている。叔父は晩年に終活をするようになった。叔父が車に乗れなくなってから、別宅を使っていいと言われた。そんな経緯があって、現在も利用し続けている。
叔父の晩年と同じ年齢になりつつある。以前、市街地まで出掛ける時は、別荘地まで降りて、コミュニティバスを利用していた。一人暮らしになっても、日常生活に支障はなかった。一年と少し前までは平常な日々が続いていた。
山地の未舗装道路の走行にはジープが適しているが、高齢の身には使いにくかった。一人乗り四輪バギータイプの電動車なら、とり回しが楽だった。普通免許を返納しても、軽車両には乗りたかったから、原付免許は残している。今では交通法規はあってないようなものになった。それでも、自身の安全のため、決まり事を守って、慎重に運転している。標高差四十メートルを歩けなくなった。だが、バギータイプの電動車に乗れば、小回りがきいて馬力のある走行ができる。だから、未舗装の狭く細い山道を、楽々と登れる。
山荘に戻った。
誰もいなくなった丘陵地帯の別荘地に印刷物が落ちていることがある。気球に運ばれて来た印刷物も含まれていた。気流の関係なのか、その地域に私製の印刷物が多く落ちている。その何枚かに目を通している。
ミニコミ誌みたいなものばかりだった。発行された日付がある。不思議なことに、それらはある期間に集中していた。この時期は蓄電池式や燃料発電式の百ボルト電源があったし、個人使用のパソコンやプリンターもあった。個人発行なので事実が述べられているとは限らないだろう。しかし、関係者がいたことは確かだ。それらを発行した人々はどうなったのだろう。連絡をとりたいが手段がない。
ここで、それらの印刷物を編集している。記事内容が類似しているものもあるし、独創的なものもある。それらのうち、近隣地区のミニコミ広報誌をここに掲載してみよう。
裾山地区新報 2025年1月5日発行
「電波消滅から一年」
一年前から大変な事態が発生しています。皆様は苦労の連続だったことと思われます。これを御覧になっているということは無事なのかもしれません。これからはそんな皆様のために情報を発信したいと思います。今回、賛同を得た有志の方々からのご支援により、地域広報発行の運びとなりました。
裾山地区を担当している中田と申します。ちょうどあの日から一年が経ちました。テレビやラジオが受信できなくなり、携帯電話も使えなくなった日です。電波が使えなくなってから一年が経ったことになります。
今回の発行できるのは近隣住民の方々の協力があってのことです。印刷に関連する機器やインク・用紙等の提供に感謝申し上げます。また、運営・配布ボランティアの方々の尽力にも感謝しています。ここで、この広報発行に関わった人々全員にお礼を述べたいと思います。
ここで、一年の経緯をまとめてみたいと思います。地球上で起きた電波障害は明確な原因がわからないままです。なるべく、事実だけをお知らせしたいと思います。ただし、確認がとれない部分もあり、一部不確実な情報が入っていることをお許し下さい。
一年前と言えば、ちょうどアメリカ大統領の一般教書演説がある日でした。皆様も記憶にあると思われます。アメリカの日付で一月五日のことです。現地時間の午後九時からアメリカ議会で一時間の演説が予定されていました。アメリカでは新年度の政府予算が成立しないままトランプ大統領が再選されました。同じ人物が二度も大統領を務めるのはアメリカの建国以来のことでした。大統領の一般教書演説で年頭において国の現状についての見解や主要な政治課題を述べることになっていました。その演説が世界に向けて中継されることになっていました。
日本とアメリカのワシントンとは十四時間の時差があります。日本時間の二月六日午前十一時から一般教書演説が始まることになっていました。ロシア問題とか米中の一触即発の事態について全世界から注目されていました。ちょうどその演説が始まる直前だったからです。
現地の様子はだいぶ後になって知ることになりましたが、当初は大統領の一般教書演説を狙ったサイバーテロでないかと大騒動になったそうです。大変なことになると思ったことでしょう。何が起こったのか皆目見当がつかなかったので、指揮命令系統の統率ができないでいたそうです。
無線が使えない状態では警察や国の軍備が役立たなかったのです。まだ事件発生率は少なく、治安は保たれていたようです。国レベルでも動きはなかったようです。国難に乗じての侵略行為もなかったようです。第一の要因としては無線が使えなかったからです。無線で連絡がつかないということは、命令も下されないということです。
平穏だった要因としては管制電波を使えないことにあります。軍隊を構成する陸海空の兵器に搭載されている電子機器の電波が使えなくては戦争ができないのです。電波が使えない戦闘機は飛行さえもできないということです。無線機やレーダーがなくても飛べる飛行機はよっぽど旧式で役に立たないものでしょう。
実際にはどんな事件が発生したのでしょう。我々には各方面の詳細がわかりません。世界同時に電波障害が発生したからです。最初、全世界の人々は電波が原因だということに気づきませんでした。全世界がパニックになっていました。しかも、その状態が報道されることもなかったのです。テレビもラジオも使えなかったからです。スマートフォンも使えませんでした。その時点では有線である自宅の固定電話や公衆電話も使えませんでした。
技術的なこと良くわかりませんが、固定電話でも中継局にマイクロ波という無線が使われているらしいのです。無線が絡んだ全ての機器が使用できなくなったのです。ケーブルで繋がった通信機器だけが使えることが、後々になってからわかりました。
当時は、誰とも連絡がつかないことが一番の支障でした。あの日の午前中はまだ各家庭の電気は流れていました。しばらくして、停電になりました。おかしいと思って隣の家に電気が来ているかを聞きに行きました。すると、近所の家々も全て停電でした。しかも、どの携帯電話会社も使えませんでした。携帯電話の受信感度を示すアンテナマークが消えた時の不安は忘れられません。
車も走っていました。遠くで発生した大地震なのかもしれないと思いました。ただし、ラジオやテレビの緊急情報は入ってこないし、携帯電話の緊急連絡通知もありません。憶測しようにも情報があまりにも少なかったのです。後々、断片だけの情報で状況が段々と明らかになってきました。それが、わかるまで一週間以上も掛かりました。
スマートフォンは電源が入るだけでした。共通しているのは、インターネットには繋がらなかったということです。防災用の乾電池式ラジオも聴けませんでした。段々と使えない種類が特定されていったのです。総じて、異常事態には変わりありませんでした。情報が途絶えました。緊急の連絡網が構築されているはずのアマチュア無線でさえ役に立ちませんでした。重大事態は二月六日の平日の午前中に発生しました。
多くの人たちは勤務先に出ていました。何ごとがあったのかと、人々が集まりました。車は動いていたので少し離れた人には連絡がつきました。各機器で動くものと動かないものを一つ一つリストを上げて検証してみました。そこで出た結論として、無線が使えないことがわかってきたのです。世界の情報が遮断されていました。過去にない事態が発生していたのです。これらの原因を知ろうにも、外部とのアクセスができなかったのです。
その時点で、世界中で電波が使えないことなど、考えてもみませんでした。人々には目に見える範囲しか理解できなかったのです。全世界で起きたことを確認できない以上、日本の特定地域だけで発生しているものと勘違いしていたのです。当初は重大な事故によって無線基地局が故障したくらいに思っていたのです。
私達の周りで何ごとが起こったのかわからなかったはずです。携帯電話や固定電話が使えなくなり、全ての個人、家庭、職場、店舗に連絡ができなくなりました。その時は本当に驚きました。何が起きているのか、人づてに聞くしかなかったのです。近しい人々の安否確認をしようにも携帯電話は繋がらなかったのです。
車が使える人は近くまで行くしかなかったのです。しかも、交通信号が点灯しなくなりました。停電が各地で起こったからです。そして、目的地に急ぐ車で道路が渋滞しました。交通事故が多発しましたが、警察にも連絡できませんでした。あの日は皆様もトラブルに巻き込まれた経験があることと思われます。
電波が使えなくなるという全く考えられないことが起こったのです。十九世紀に戻ったかのようです。当初は安易な考えでいました。電話会社の基地局とテレビやラジオの放送局が同時にトラブルに見まわれたのではないかという憶測です。
最初はそんなに危機感はなかったのです。自家発電設備のある放送局もあります。車両タイプの発電設備の救援もあることでしょう。携帯電話会社の基地局の故障はいずれ直せるものだと思っていました。放送局もそのうちに再開するだろうと思っていました。それが、どうでしょう。現在に至っても無線インフラが壊滅状態です。見通しは今もついていません。
当時は何が起こったのか皆目検討がつきませんでした。近所の人以外に誰とも連絡がつかなかったからです。幸いトラブル発生直後、日本は日中でした。明るかったのでまだラッキーだったのです。近所の人に聞いて回れたからです。夜中では行動は制限されていたことでしょう。情報が遮断された一部の国では暴動が起きたらしいのです。そのことも今なら伝え聞くことができるのですが、その時は何も知らされていなかったことです。全世界がパニックに陥ったのも当然なことです。
日本でも最初は東海地域で地震が起きたのではないかというデマが流れました。しかし、真偽を確認できなかったのです。長距離トラックの運転手たちは細心の注意で地元に戻ってきたそうです。その帰ることのできた運転手から情況が聞けました。関東、関西、東海地区に地震はなかったと言いました。それを聞いて安心しました。ただ原因がわからないままでした。
大震災の時のように火災が同時多発的に起きていませんでした。一度に大量の死傷者が出なかったのは幸いでした。関東や東海の大地震発生のデマは出ませんでした。インターネット上でデマが拡散しなかったからです。全くの人づてでしたので、ハッキリしないものまでは拡散しなかったようです。
一部の情報でも貴重でした。車両があり燃料が確保できる人は何とか情報収集できたようです。デマが全くなかったということではありません。主なものでは、放送局と携帯電話会社のプログラムソフトが、同時にハッキングされたというデマです。中国と北朝鮮、それにロシアが合同して、サイバー攻撃を仕掛けてきたという噂が発端でした。それぐらいなら、誰でも思い付くことかもしれません。ただ、情報伝達が遮断されていたので、フェイク情報として、全世界に広がることはありませんでした。
新聞の全国紙や地方紙の発刊が止まってから、ちょうど一年になるところです。今では情報源として定かなものが少なくなりました。やりとりが可能な近隣のミニコミ誌同士で、発行物を交換したり、情報を共有し合っています。少ない情報ですが、確認のとれたものしか掲載しないようにしています。極力、不確かなものは排除するつもりです。
磁気に強いシールド皮膜で防御されたケーブル通信しか使えません。有線でも繋がる範囲はおのずと狭くなります。無線が主流だった頃でも、大量のデータのやりとりには、海底ケーブルが重要な役割を果たしていました。今、その海底ケーブルが役立っているそうです。旧式な手段となりますが、有線での通信が可能だと発表がありました。
政府は緊急連絡用の電話回線使用を制限しています。電話回線はシールドが不充分なので通話が鮮明ではありません。それでも、通信手段としては重要です。郵便機能もマヒしています。
大量印刷を前提とする公共新聞が、発行できない緊急事態下では、プライベートで発行した紙面ぐらいしか役立ちません。少量でもあっても、できる限り多くの人々に伝達するには、ミニコミ誌発行が適しています。
この地域限定の広報の発行は、周りからの要望があったからです。これからも、少しでもお役に立ちたいものです。発行の継続には、皆様のご協力が必要です。今後もよろしくお願い致します。
サバイバルが続くと思います。そんな中でも私たちは次回の発行に尽力します。では、皆様もお元気でお過ごしください。御無事をお祈り致します。
このミニコミ誌は数ある中の一部だ。近隣地区なので発行情況が把握しやすかった。それでここに載せてみた。他誌情報でも内容が確認はできた。共通した情報はフェイクではないだろう。他にも情報源となる紙面がある。それらの文面を入念にチェックするしかない。地球上の電波が使えなくなってから、パニック状態が収まらない。その中で、記録しようかどうか判断に迫られることがある。
重要な記事がある。電波障害が起こった原因が判明しつつあると言うのだ。それらはまだ真偽が定かではない。
全世界の研究機関や観測所を運営する科学者に、優先的にケーブルの電話回線を融通していたらしい。世界中で連絡し合って情報交換していた。地球上で使える観測機器を総動員していた。観察結果から、太陽系から離れた超大型恒星の方向から、強い電磁波が発生していることがわかった。
恒星の爆発が電波障害の原因らしい。それが本当だとしても、なぜ電波障害が続くのかということが解明されていない。だから、議論がなされているが、対策が立てられないようだ。強い電磁波が大気を有害な空間として汚染している可能性がある。今は観測を報告した科学者のほとんどが亡くなっている。そうなると、報告をどう立証できるというのだ。
朗報というほどのものではないから、保留された記事もある。危機的な状況が全世界で続いている。だが、一部の国のあいだでは互助精神が発揮されているらしい。経済は大きく停滞したが、国同士で食料や資源の融通を行っている。電波が使えない中で、少ない資源をやり繰りをしているようだ。
電波障害後の対策が急がれている。生活必需品の確保が課題だ。完全復旧は無理でも、最低限の生活を維持しなければならない。省エネ機器なら、自家発電でも使用可能だ。太陽光蓄電も必要に迫られて実行している。用水路を活用した小水力発電も実施している。インターネットに繋げないだけで、計算や集計に役立つコンピュータが使える。それでも、一年前の電波障害からは、順応できているわけではない。感覚が麻痺し始めている。
情報の収集と提供ができなくなっているから、全国紙、地方紙全てが休刊となっている。そこで、全国的に私設のコミュニティー・ペーパーが発刊されるようになった。今はただでさえ混乱しているから、さらに惑わせてはいけない。正しい情報提供を心掛けなければいけない。読者が必要とする真実を伝えたい。
私は一人で住んでいる。誰も訪問してこない。元々、ここはアクセスの悪い秘密基地のようなもので、親類縁者にしか知られていなかった。長期保存用の水や食料が確保できている。誰も集まらない別荘地の避難所に行けば、缶詰や水や乾パンが大量に置いてあるからだ。
日本はまだ抑制が効いている方だと思うが、今の状況はわからない。今は長距離を移動する手段がない。混乱が落ち着いているのは暴徒となる人間が死んでいったからだろう。高齢になると運動機能が衰える。今のところ叔父が残してくれたバギータイプの電動車が重宝している。それでも、山頂に住む身としては下界に降りるのには苦労する。
私は一人で死んでいくだけだろうか。医療機関がなくなっている。医療人材がいない。今は病気になっても治療が受けられないだろう。一人で生きていくのに必死で、ボケになっている余裕はない。それでも、認知機能は日々劣化している。編集作業をしているが、次第に負担になりつつある。汚染された大気の影響だろう。こうやって記録をつけていても、日にちもわからず、時期を特定できないことがある。正確な日時が認識できないまま最期を迎えるかもしれない。
元々、私は遺伝子を残す気持ちはなかった。人類が滅亡しようとしているのに相続なんか関係ない。以前は新聞の死亡欄の片隅に載るだけだったが、今は毎日の新聞さえも発行されていない。金融資産は使えない。役立つのは現物だ。それがここの山荘だと言っていい。今必要なのは資源的なものだけだ。
私には子供がいない。それでも、結婚した甥や姪がいたので、遺伝子が残るかと思って安心していた。それで、充分だと思っていた。だが、その我が家系の末裔も消息不明になっている。そうしているうちに、身内の安否を憂いているどころではなくなった。全人類そのものが存続するかわからないという事態になっているからだ。そのことがやっとわかってきた。生き残れたとしても、人類滅亡の兆候を知ることになるかもしれない。そのことの方が辛い。
だから、こうやって記録をとっている。取材をしたいが、移動手段が限られる。たまに気球で飛ばされて来る紙面がある。それを見て編集しようとしている。生きているかどうかわからない誰かに、こんなものを残して何になるのだという気持ちになる。誰かがこれを見たとする。危機管理の甘さを悟らせるだけのことだ。それでも、ほんの一握りの人間でいいから、生き残っていてほしいと願うこともある。その人らにこの記録を残さなければならない。
部屋の中にいる。
机の上に編集途中の紙の束がある。叔父が残した記録を見る。叔父のことなのか、自分の体験記なのか、判断がつかなくなっている。
それでも、事実が判明したことについては、随時追加するつもりだ。逆に、所々に入れた個人のプライベートな部分は、人類の痕跡とは直接関係していないから、破棄するだろう。個人の生活事例に成り下がってしまったからだ。
個人の心情や感想を加えても意味がないから、以前書いていた部分を削るかもしれない。割愛するのは、記録の正確性を優先したいからだ。真実が増えるごとに、自分の存在を削るしかないのは惜しい。
こうやって、並べ替えている。ここまでのページも、これから、編集し直すことになるだろう。