膝枕
骨がきた。
昨日は一日じゅう待っていたが、こなかった。
大学病院からの電話では、午前中の配達と確認していた。もしかしたら前の住所にいったのではないか。
土曜日の午後七時だったが、電話した。献体担当がいなかった。翌日電話があった。転居なさったことは承知しています。ご遺骨はまちがいなく新住所に発送しています。郵便局の説明では配達は明日になるそうです。年齢不詳の事務員の声は落ち着き払っていた。いささかも弁解の甘さはない。しかも霊安室の廊下から吹いてくる冷気を含んでいた。それは再配達で夜遅く届いた。
亡くなったのが平成三一年の冬であるから、四年かかったことになる。生前の父は大柄で、肩幅もひろく筋肉質であった。若い頃射撃の選手であったから、握力は強かった。老人施設に入るとき、車椅子から立ち上がり、移動しようとして倒れかかってきたことがある。棒のようになって倒れてきた。あわてて支えたが支えきれず、不自然な格好で踏ん張ったために、膝を痛めてしまったことがある。じつに重かった。
白い巾着の包みの六角柱に入った骨は、軽い。ほとんど陶器の壺の重さだろう。振ってみると内緒話のような音がする。注意事項には丁寧に梱包するが破損の恐れがあるご了承くださいとあったのを思い出した。破損? これ以上に壊れるというのはどういう意味か。
翌日会社から帰ってくると、白い巾着は段ボールの上から箪笥の上に移動していた。お鈴と線香立て、数珠、花瓶には花まで生けてあった。段ボールの上では可哀想だと嫁は言った。嫁は生前から舅によく味方していた。姑には実に厳しい人であったが・・・。小学校三年生の息子に、開けてなかのぞいてみないかと誘ってみた。いやだと言われた。おじいちゃんとよくお鮨食べに行ったろう、りょうちゃん、りょうちゃんと言って、頭撫でてもらったろう。息子はゲームに夢中である。それで包みは開けずにそのまま置いてある。ひとりでみるのがなんとなく怖かった。
墓のある寺に電話した。住職がでた。墓には壺を入れるような大きな穴がありませんが、と聞くと、穴は花台の奥に動かせる石があります。加賀地方では壺のまま、墓に入れます。能登地方では、骨をざあっーと、ざあーっと墓のなかあけます。はい、花立ての前の石が動いて、そうです、穴があります。そこへ、ざあーっと、ざあーっと、あけます。壺のまま入れると五十年経って、壺から取り出して、ざあーっとあけます。そうしないと土に還りませんのでね、五十年か、生きていないな。まず。納骨は伴僧の担当です。電話しときます、しばらくお待ちください。すぐに伴僧さんから丁寧な電話がきた。始めにお布施はいかほどかと聞いたが、答えてくれなかった。そしてまた骨壺と墓の話になって、加賀地方では・・・能登地方では、ざあっーと、ざあっーと骨を撒くのだという話になった。
父の幼い頃の家族写真を見たことがある。広い屋敷の縁側に家族が居並んでいる。母親の前に幼い父が、その横に一番上の姉が涼やかな白いワンピースを着て笑顔で写っている。この姉は美人で評判だった人で、女学生のときの写真が町の写真館にながらく飾られてあったという。夢二風の撫で肩の人だった。この人は戦争未亡人で九五歳まで生きたが、一人息子が癌で亡くなったのを知らされずに亡くなった。
父の母は四四歳で鴨川沿いの借家で死んだ。腎臓病だった。親戚、兄たちや姉たちが、集まっていた。いい天気だった。小学校の運動会の日であったが、いけそうになかった。外に出て河原の熱い石をひっくり返していると、呼ばれた。おい、お別れの挨拶をしろ、母さんが待っている。おまえの番だ。早くこい。一番上の兄が言った。動けなかった。石を川に向かって何度も何度も投げた。後から母の言葉を聞いた。兄たちや姉たちには、心配だ、心配だとこぼしていたが、末っ子の父には、あの子は大丈夫・・・きっと大丈夫・・・。最後の言葉だった。お別れの挨拶をしたら、二度ともう会えない気がしたのだ。
目覚めると母の膝枕だった。本堂で寝てしまったらしい。天井の高い内陣に念仏が轟いていた。なまんだ〜ぶ〜ううう、なまんんん〜だぶ〜うう〜う。裏の墓原からは蝉の声が聞こえていた。大勢の参会者の念仏の唱和と蝉時雨。母の膝枕。それから炎の音。死んだときの記憶はないが、身体の焼ける耳を聾する炎の音は覚えている。長い長い唱和の後、静寂。まだ蝉は鳴き止まない。
では。長い長い正信偈(しようしんげ)の読経がすむと、伴僧は恭しく一礼すると、花台を除けて、石を引き出した。
骨をみた。プラスチックの工芸品のようだとばかり思っていたが、どちらかというと蛤貝(はまぐり)の殻の色に近い。薬漬けの老人は焼き上がった骨が桃色になっているという話を聞いたことがあるが、これはホルマリンなどの薬液に長年浸されていた影響かもしれない。九十二年の年輪が刻まれた貝殻。
奥に穴があった。骨壺を逆さまにして揺する。骨壺から流れ落ちるところは伴僧の僧衣の影になって見えなかったが、一瞬砂利を揉むようなかすかな音が聞こえた。
線香の匂いが強くなった。お布施を渡した。伴僧は親切そうな小柄な老人で、首筋から渦巻いた皺が頬へと這い上がっていた。しかし目は瑞々しかった。丁寧に腰を折ると、すぐに手なれた動作で袂にしまった。
穴のなかは昨日の雨で湿っていて、今日の天気で暑かった。蝉が鳴き出した。女物の着物の折りたたんだ膝が、黯(くら)い底にあった。