夏の(なつ)()の宴(うたげ)
 
 汗がとめどもなく流れてくる。息苦しい。寝返りを打つ。俺は荒い呼吸を繰り返しながら、横になっていた。裸電球一つ点いている部屋に一人だ。今、何時くらいだろう。先ほど夕食を摂ってからさほど時間は経っていない。夕食といっても、菓子パン一つだけだったが。
 首を傾げ、ガラケーの携帯電話を見る。七時四十分を表示していた。まだ絶望的な夜はかなりの時間を残している。暑い。何しろ、暑い。クーラーはおろか、扇風機もないこの狭い四畳半の部屋には近くの川からの涼風も届かず、うだってしまいそうだ。道路に面したアパートの一階の部屋なので、窓を開けっ放しにするわけにもいかない。七月のこの時期、俺は連日万年床の敷布団の上で煩悶していた。シーツが汗とよだれでべとべとしていて、薄茶色に変わってきている。気持ち悪い。でもどうしようもない。
 俺はこれまた汗で変色している白のTシャツにパンツ一丁という恰好で寝転がっている。首にタオルを巻きつけていた。熱が部屋中に充満していたせいで、Tシャツもパンツもタオルもぐっしょりとしていた。
 何度か寝返りを打った。額に滲んだ汗が顔面を流れる。タオルや手の甲でしきりに拭うが、あまり効果的ではない。もはや流れ出る汗を拭きとるのに、間に合っていなかった。
 眠れなかった。特別に眠いわけではなかったが、テレビもパソコンもないこの部屋では夜になると寝ることぐらいしかできなかった。ただ、今のこの状況では眼が冴えて仕方がなかった。
 俺は眠るのを諦めて、起き上がった。一通り汗を拭く。タオルはもうびしょ濡れでうっとうしいので、部屋の片隅に投げつけた。
 大きく息を吐き、窓の外を見つめた。先ほどまではまだ明るかったが、日はとっぷり暮れている。これ以上部屋の中でじっとしているのも億劫だ。俺は外に出てみることにした。立ち上がる。天井は背が届きそうなくらい低い。
 ズボンをはき、のろのろと玄関に行く。一足しかない安物のスニーカーを履いて外に出る。外も暑い。むわっとした熱風に包まれた。アパート前の路地をとぼとぼ歩く。どこへ行こうか。行く宛などなかった。涼気が欲しかった。街灯の明かり目がけて蛾や羽虫といった昆虫が幾度となく衝突を繰り返している。
 俺は歩いた。気の向くまま。足の向くままに。いつしか、児童公園にたどり着いた。滑り台とブランコと鉄棒がある小さな公園。足を止めた。目についたベンチに腰掛ける。
 ここも涼しいというわけではない。気休めにも涼しい風は吹いていない。じっとしていても汗ばんでくる。俺は相変わらず荒い息を吐いていた。呼吸しているだけで暑い。
 喉が渇いていた。水が飲みたかった。この公園に確か水飲み場がある。俺は立ち上がり、その方へ向かった。
 水飲み場は公園の片隅にあった。蛇口をひねると、チロチロと水は出た。飲む。生ぬるい。味気なかった。それでもごくごく飲んだ。気分爽快とまではいかなかった。喉の潤いと、少しの腹の足しにはなった。
 ふと、話し声が聞こえてきた。暗闇の中、目を遣ると、三人の男たちが近づいてきていた。いずれも十代後半で、俺より十歳以上は若い。地元に巣食う有名なヤンキーだ。
「おい、何やってんだ」
 三人のうちの真ん中のがっしりとした体躯の男が声を掛けてきた。確かヒロシという名前だ。
 俺は無視して立ち去ろうとした。関わり合いになるのが煩わしかった。
「待てよ」
 俺の往く方に先回りをして、左側ののっぽの男が立ちふさがった。アキラという名前だ。右側の太めの男が俺の右腕を掴む。ジュンペイという名前だ。俺は振りほどこうとした。もがいた。
「どこ行くんだよ」
 ヒロシが詰め寄ってくる。
「離せ」
 俺は逃れようとした。もがき続ける。まるで蜘蛛の巣に引っかかった昆虫のようだ。ヒロシが顔を近づけてくる。
「何逃げようとしているんだよ。気に食わないな、おっさん」
 ヒロシはそう言って、俺の脇腹に右拳をのめり込ませた。俺の身体は九の字に折れ曲がった。苦痛で顔がゆがむ。
「やっちまえ」
 ヒロシがそう合図すると、アキラとジュンペイは待ってましたとばかりに俺に襲いかかった。パンチや蹴りを次々と繰り出す。俺は身を固め、防御姿勢をとる。男たちは容赦なく攻撃してくる。
 俺はとにかく逃がれようとした。攻撃を何とかかわしながら、闇に乗じてこの場を立ち去ろうとした。この難を脱したかった。言われようのない災難だった。
「待て、この野郎」
 獲物を狩る猟師の如く、男たちは追いかけてくる。必死で逃げた。這いつくばった。闇から闇へ。追い立てられた。ベンチの陰に隠れた。
「くそッ、どこ行きやがった」
 見失ってくれたようだ。俺は息を整えた。やがて、男たちの声が遠のいていった。向こうへ行ったみたいだ。ほっと一安心。ただ、用心に越したことはない。のそりのそりと慎重にその場を移動しようとした。
 と、足元に触れる物があった。暗くてよくわからないが、紙包みのような物だ。拾い上げる。意外と重く、ずっしりくるものがある。封はしていない。中をまさぐってみる。ごつごつとした感触があった。
 取り出してみた。
「これは……」
 黒い固形物だった。暗がりだが、一目で何かわかった。
 拳銃。拳銃だ。回転式拳銃というやつだ。なぜこんな物がここに……。とんだ落とし物だ。
 弾丸は入っているのだろうか。実物を生で見るのは初めてだが、その取扱い方法は外国の映画などで見たことがある。弾倉を開放してみた。弾丸は六発装てんされていた。確かめて、弾倉を戻す。
 試しに撃ってみたくなった。その衝動を抑えきれなかった。この拳銃は撃鉄を引き起こしてから引き金を引くことによって弾丸が発射されるシングルアクションタイプのようだ。右手で拳銃を握り、ゆっくり撃鉄を引き起こしてみる。左手を添える。下方に銃口を向けた。静かに引き金を引いてみた。
 爆音が響いた。弾丸が発射される。本物だ。この拳銃は本物のようだ。両腕と肩に反動の衝撃が走った。改めてしげしげと拳銃を眺める。こいつは、凄え。これがあれば……。
 不埒な考えが脳裏をよぎる。これがあれば俺は千人力だ。全身に力が漲ってきた。先ほどの男たちを探そう。自分を散々いたぶってくれた三人の男たちを。暗い情念に突き動かされ、俺は動き出した。公園を出て、男たちが立ち去った方向に足を向ける。不敵に笑う。口笛でも吹きたい気分だ。
 探す手間をかけることなく、男たちは見つかった。公園の近くの街灯の下でタバコを吸い、たむろしていた。先に気づいたのは、男たちの一人、アキラだった。
「お、さっきのおっさんじゃないか。またやられたくてのこのことやって来たのか」
 残りの二人、ヒロシとジュンペイも俺に目を向ける。鋭い眼つきで睨んでくる。
 だが、俺は怯まない。先ほどの俺とは違う。俺には今、こいつがある。と、拳銃を撫でまわす。
 男たちが近寄ってきた。俺は奴らを睨みつける。こいつらを、こいつらを許しはしない。
 俺は構えた。男たちに銃口を向ける。
「な、何だよ」
 男たちは一斉に立ち止まった。
 俺は無言のまま拳銃を構えている。
「そんなオモチャ、どこから持ってきた? そんなの怖くないぞ」
 アキラが一歩踏み出した。その瞬間、俺は引き金を絞った。アキラの顔面を狙ったつもりだったが、弾丸ははるか上空に外れた。だが、効果はてきめんだった。男たちの表情が変わった。
「な、何だよ、なんでそんな物持っているんだよ。こいつ、やべえぞ」
 男たちは腰を抜かし、それぞれ身体をブルブル震わせて後ずさり、それから闇の向こうへ走り去って行った。ざまあない。
 俺はニヤリとした。こんなもんだ。この拳銃は俺に力を与えてくれる。無限の力だ。この世の支配者になった気分だった。
 歩き出す。これからどうする。しばし、考える。考えながら歩く。思えばこいつを手にするまでの俺は惨めな身分だった。勤めていた会社から解雇を言い渡されたのは三日前だった。バイトの身だったが、正社員並みの職務を要求されていた。小さい会社で、学習教材を販売していた。名簿業者から小学生中学生高校生のいる家庭の名簿を買い、電話で勉強ができなさそうな家とアポイントメントを取り、営業マンが直接家に赴いて学習教材を売りつけるという一種アコギな商売をしていた。電話アポを取るのが俺のようなバイトの仕事で、営業に行くのが正社員の仕事だった。もっとも正社員といっても、社員は社長一人だけだった。バイトは常時三、四人いたが、入れ替わりが激しかった。典型的なブラック企業だった。バイトの時間帯は夜の六時から九時まで。その間電話をかけまくる。時給千円とわりかし高給な方であったが、なかなかアポは取れず、客の中には辛らつな言葉を浴びせる者もいて、精神的にきつかった。
 俺はバイトリーダーを務めていた。名目だけで給料には反映されていなかった。長く勤めている男の年長者ということだけでその責を与えられていた。社長は俺を安くこき使っていた。口論が絶えなかったが、雇い主と使用人では勝負にならず、ついに俺はクビになってしまったというわけだ。
 あの社長……。酒焼けの赤ら顔。でっぷり太った体躯。禿げ上がった額。人を蔑む冷徹な目。思い出すと、むかむかしてきた。あんな男にへいこらしていた自分にも腹が立つ。あの頃は惨めだった。今、無職となっている俺であるが、あの頃よりはましだ。俺には拳銃がある。こいつを使えば……。
 あの社長のところへ行こう。こいつを使えば、何かしかの金銭を差し出してくるかもしれない。こいつを使えば俺は無敵だ。
 時刻は八時二十三分。営業に出ていなければ、今の時間は会社にいるだろう。会社はここから歩いても十五分足らずのところにある。俺の足取りは軽かった。目的を持っていると、こんなに心地が違うものなのだろうか。俺はなるべく人目がつかない路地から路地を歩いた。先ほどの発砲で付近の住民が警察に通報していないだろうか。それが気がかりだった。
 夜間だったので人通りは少ない。それでも俺は拳銃が目に留まらぬようズボンのベルトに差し、Tシャツで隠して歩いた。
俺が勤めていた学習教材販売会社は駅前から少し離れた雑居ビルの二階にあった。その雑居ビルに着いた時、時刻は八時四十九分だった。下から見上げると、二階の俺の勤めていた会社の窓に明かりが灯っている。九時を少し過ぎるとバイトは一目散に帰っていくはずだから、俺はそれまで待つことにした。社長はいるだろうか。
九時が過ぎた。バイトが帰っていく。物陰に隠れて、俺はそれを確認した。電灯が消えていないということは、誰かまだ在室しているはずだ。社長がいる確率が高い。俺は確証して、外階段を上った。
ドアの前に立つ。深呼吸する。拳銃に手をやり、心を落ち着かせる。中に入った。社長が一人いた。
「やあ、柳沼(やぎぬま)君じゃないか。どうしたんだい?」
 暢気そうな声を上げる。
「話をしに来た」
 俺は努めて冷静に言った。
「何の話だい?」
 社長は冷ややかな目を向けてくる。人を蔑むその目にむかつきを覚えた。
「給料の話だ。給料をもらいに来た」
 俺は声を押し殺して言った。
「給料は来月の十日に振り込む。ウチではそういう取り決めになっている」
「その給料とは別に慰労金をもらいたい。今すぐにだ」
「何を言う。とち狂ったか。ウチは既定の賃金しか払わない。しかも君はこの前クビにしたばかりの人間だ。そんな輩には給料以外に金を払うことはできない」
 社長は言い放った。
「これでもか」
 俺は拳銃を取り出した。社長目がけて構える。
「何の真似だ。そんなオモチャ振り回して」
「オモチャじゃない」
「だったら、撃ってみろよ」
「いいのか、撃っても」
「ああ」
「本当に撃つぞ」
 俺は引き金を絞った。弾丸は発射され、部屋の天井を撃ち抜いた。轟音が響く。
 社長は目を見開き、口をぽかんと開けて座っている。それから身体をブルブル震わせ始めた。
「ま、待て。話せばわかる。柳沼君、話し合おう」
「何を?」
 俺は冷たく言った。
「き、給料の件だ。い、今すぐ払う。い、慰労金も払う」
「いくらだ?」
「いくら欲しい?」
 俺は左手の人差し指を立てた。
「い、一万か。は、払う。今すぐ払う」
「一万だと……。舐めてもらっては困る」
「十万か、そ、それとも百万か」
「一億だ」
「な、何ッ」
 俺はゆっくり社長に近づいた。
「一億払ってもらう」
 再び静かに言った。
「そ、そんな金などない」
「だったら、死んでもらう」
「や、やめてくれ。た、頼む」
 社長はうろたえていた。かつてあんなに威張り腐っていた男がこのざまだ。俺は改めて拳銃の威力を思い知った。
 と、社長は血迷ったのか、いきなり立ち上がり、立ち向かってきた。
「うわああーッ」
 逆上したのか、あらん限りの声を絞り出して叫び、俺の身体をすり抜けて出入り口に向かう。俺はその社長の後頭部目がけて引き金を絞った。弾丸はまたしても天井に逸れた。社長はそのまま出ていった。
 俺は不思議と冷静だった。銃声が外に漏れたかもしれない。近所の住民が何事かとやってくる前にこの場を立ち去ろう。俺は部屋の外に出た。外階段で地上に降りた。
 辺りはまだ平然としている。そのうち騒がしくなるかもしれない。きっとそうなるだろう。その前に遠くへ行くつもりだ。なるべく人目を避けて。俺は足早に歩いた。
 次は、次はどうする? まだまだ暑苦しい。夜もまだまだこれからだ。拳銃の中には残り二発の弾丸がある。こいつを使って、今までの憂さを晴らしたい。もう後戻りできない。
 標的を誰にするか、悩んだ。いや、悩んだふりをした。すでに心の中では決まっていた。俺は足を速める。時刻は九時三十七分。標的はもう在宅しているはずだ。
 次の標的、羽柴(はしば)由子(ゆうこ)は携帯電話販売会社に勤めていた。昼間そこで働く傍ら、週二日火曜日と木曜日の夜、繁華街のスナックでホステスのバイトをしていた。そこで客だった俺と知り合った。二年前の冬のことだ。
「柳沼さん、お仕事は何されているのですか?」
 由子は当時二十三歳。水商売慣れしていない素人っぽいところが好感を持てた。
「まあ、教育関係」
「え、もしかして、学校の先生ですか。柳沼さん、頭よさそうだし」
「いや、まあね……」
 俺は見栄を張った。この場合、嘘も方便だろう。酒の席、女の前でただのフリーターだと本当の姿を申告したくなかった。どうせ後腐れのない付き合いだ。
「すごーい。大変でしょ、学校の先生って」
「そうでもないよ」
「小学生? 中学生?」
「高校だ」
「どこの高校ですか?」
「それは勘弁してくれ」
「何の教科、教えているのですか?」
「社会」
 俺は一番ボロの出にくい無難と思われる教科を挙げた。
「すごーい」
 由子はやたらと持ち上げる。俺はいい気持になった。悪名高き教材販売会社のテレホンアポインターの分際で、教師らしく振舞ったりもした。
 由子はすこしぽっちゃりとした体形で、おっとりとしていたが、よく気が利く娘だった。それでいて、気も強かった。俺は足繁く通った。バレンタインデーにはチョコレートをもらったりした。俺に気があるように思えた。
「店の外で会えないか」
 ある夜、思い切って誘ってみた。
「……今度ね」
 由子は少しためらって答えた。
 今度か……。まあ、いいだろう。俺はその日が来るのを楽しみにしていたが、その日は永遠にやって来ることはなかった。由子は突然店を辞めたのだ。
 でも、昼間の勤め先を知っていたから、いつでも会いに行ける。高をくくっていた。実際会いに行った。すると、由子は今まで見せたことのないような顔を見せた。
「柳沼さん、何しに来たんですか!」
 露骨に嫌な顔をした。怒気を含んだ声だった。
「いや、あの、その……」
 俺は圧倒されて、しどろもどろになった。予期せぬ対応に面食らってしまった。
「昼間の会社には来ないでください」
「俺、本気で由子ちゃんのことが好きなんだ」
「困ります」
「俺と付き合ってくれ」
「はあ? 無理無理」
「君も俺に気があること言ってたじゃないか。あれは何だったんだ」
「そんなの、酒の席だけのことでしょ。さあ、仕事の邪魔だから帰って下さい」
そこまで言われて、俺はすごすごと退散せざるをえなかった。それ以来、由子とは会っていない。
 由子にとって、俺は単なるよく飲みに来る客、いいカモにすぎなかったわけだ。それなのに何を勘違いしていたのだろうか。そう考えると、後で無性に腹が立ってきた。そんな女に俺は熱を上げていたわけだ。自分自身が情けなくもあった。いつか絶対見返してやると心に誓っていた。
 そして今回、そのチャンスが訪れたわけだ。こいつがあれば。俺は拳銃を撫でてみる。こいつを見たら、由子はどう反応するだろう。
 由子の自宅は確認済みだった。俺の友人に探偵事務所に勤めている奴がいて、格安の値段で住所を調べてくれたのだ。由子はマンションに一人暮らしだった。オートロックではない。
 由子の住むマンションは郊外の住宅街にあった。こんな日が来るのをじっと待っていた。駅前で社長を襲撃してから歩くこと二十分、目的の場所に着いた。思わず息を飲む。由子は在宅しているだろうか。時刻は十時三十三分。
 由子の部屋は二階建てマンションの二階の角部屋だった。俺は外階段をゆっくり昇っていく。築十年に満たない建物だ。窓から中の明かりが漏れている。中に誰かいる証だ。
 俺は覚悟を決めて、玄関のチャイムを鳴らした。
「はい、どなた?」
 奥から女の声がした。聞き覚えのある由子の声だ。夜間の不意の訪問者に対してだろうか。由子はドアを開けなかった。俺は無言を通した。
 やがて、ゆっくりドアが開けられた。俺はそのドアを掴んだ。思い切り引っ張る。中からつられて由子が出てきた。
「キャッ」
 由子は俺の顔を見て、叫び声を上げた。すぐ誰だかわかったらしい。
「中に入れ」
 俺は由子の右腕を掴み、それから部屋に上がり込んだ。土足のままだ。
「ちょっと、何するの」
 由子は声を震わせて言った。
「久し振りなのに、御挨拶だな」
「何なの、あなた。どうしてここがわかったの」
「そんなことはどうでもいい」
「よ、よくないわよ」
「俺が何者で、誰だかわかっているな」
「警察を呼ぶわよ、柳沼さん」
「ふふ、相変わらず強気だな」
「最低の男ね」
「こいつを見ても、その姿勢を貫くことができるかい」
 俺は拳銃を取り出した。
「何、それ。そんなオモチャ持ち歩いて何しているの」
「オモチャじゃない」
 俺は構えた。銃口を由子に向ける。
「何よ。撃てるものなら、撃ってみなさいよ」
「いいのかい」
「ええ、い、いいわよ」
 俺は撃鉄を起こした。カチリと音がする。慎重に狙った。引き金を絞った。
 溌射。轟音。弾丸は天井に外れた。
「きゃあー」
 由子が絶叫する。と同時に、粗相した。そのまま気を失う。尿の匂いが部屋中に充満した。俺は笑い声をあげた。どんな気の強い女でもこいつの前では無力だ。
 由子の醜態を見て、この部屋に来るまであった性的欲求は消え失せていた。この住宅密集地だ、銃声は確実に聞かれているだろう。誰か警察に通報するかもしれない。とっとと立ち去るのが賢明だ。
 俺は部屋を出た。急いで外階段を下りる。暗闇に紛れる。何事もなかったように、歩く。しばらく歩いていると、どこからかパトカーのサイレンが聞こえてきた。やはり誰か通報したようだ。自然と進む速度が速くなる。
 パトカーのサイレンの音が次第に大きくなってきている。近くまで来ているようだ。ここは住宅地の真っただ中だから隠れることもできない。こんな夜に一人でぶらぶら歩いていると、職務質問をかけられ、一発でアウトだ。どこから見ても挙動不審者だ。
 家に戻ろう。こんな物騒な物を持ち歩いていては平静ではいられない。俺は自宅のアパートへと急いだ。
「ちょっと、君。待ちたまえ」
不意に背後から声を掛けられた。びくっとした。振り向く。そこには自転車に乗った制服警官がいた。俺の背中に汗が伝った。
「君、こんなところで何している?」
 警官は自転車を降り、近寄ってきた。万事休す。の場面だが、俺にはこいつがある。
 俺は警官に銃口を向けた。
「な、な……」
 警官は慌てふためいた。こうなったら、もう乗り掛かった舟だ。俺は撃鉄を起こし、一気に引き金を引いた。
 弾丸は今度は見事に命中、警官の眉間を撃ち抜いた。血漿が飛び散る。警官は即死だ。
 やっちまった。とうとう人を殺してしまった。しかも警官殺しだ。もう後戻りできねえ。
 俺は警官の腰ホルダーから拳銃を奪った。今まで持っていた拾った拳銃は、六発撃ち尽くしたので投げ捨てる。新たに五発装てんされている警官の拳銃を手に持つ。こちらもしっくりくる。俺は相変わらず無敵だ。こいつがあれば。
 再び歩き出す。もう何も怖いものなどない。胸を張って歩く。卑屈だった俺はどこにもいない。
 また喉が渇いてきた。俺は辺りを見渡す。近くにコンビニの明かりを発見した。そこで水分を調達しよう。金は持っていない。こいつに物を言わせて、強奪するだけだ。もうあれこれ考えるのが馬鹿らしくなった。俺は拳銃を持った殺人犯だ。開き直った。
 コンビニに着いた。堂々と店内に入る。飲み物売り場にまっしぐら。冷蔵庫から缶ビールを一つ取り出し、プルトップを引き、思い切りごくごく飲んだ。店員が唖然として見ていた。
「あんた、何をやっているんだ」
 俺はその声を無視して、最後まで飲み干す。缶を投げ捨てる。
「うるさい。悪いか」
 俺は店員を睨みつけた。それからおもむろに拳銃を取り出した。
「な、何だ」
 店員は軽く狼狽している。俺は構えた。
「こいつが見えないか」
 俺は劇的を引き起こし、引き金を絞った。弾丸が発射され、ガラス窓を破壊した。店員は腰を抜かす。警官から奪ったこの拳銃も最高だ。俺に最高の力を与えてくれる。俺は続けてもう一発撃った。天井に炸裂。愉快な気分だ。
 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。だんだん近づいてくる。でも構いやしない。俺はここの王様だ。この拳銃がある限り。
 コンビニの駐車場にパトカーが停まった。中から制服警官が出てくる。拳銃を構えて。入り口を封鎖する。俺は袋のネズミになった。いいさ。もうどうでも。弾丸は残り三発。これらが尽きるまで、俺は無敵だ。すべて撃ち尽くすまで、生き長らえることができる。
 どうしてこうなったのだろう。ふと思う。答えは明瞭だ。夏だ。すべて暑苦しい夏のせいだ。そういうことにしてしまおう。
 俺は拳銃を撃つ。一発、二発。警官が応射してきた。めげずに撃ち返す。一発。これで弾切れだ。それでも俺は引き金を絞り続けた。撃鉄が空を切っていた。